参考

031.孤児院の金魚鉢

孤児院の金魚鉢
しま 
29歳 女性 ひとり暮らし 事務員

[夢の内容]
孤児院に訪ねて行きます(現実には見たことのない場所です)。
季節は秋から冬で、部屋はフローリングに大きな窓、折り紙で作った鎖などが飾られていて、大きな机が中央にあり、昼食時です。
子供たちは男女合わせて10人くらいいます。現実には知らない子供たちですが、夢の中では私と大変仲良しで、よくおしゃべりし、私に遊んで欲しくてまとわりついてきます。
食事はもろこしを牛乳で煮込んだもので、これをみんなでわけあって食べます。
部屋の中には小さな金魚鉢があり、水草と真っ赤な金魚(鮒の形をしています)が数匹います。金魚は互いの背びれや胸びれをつつきあい、共食いをしています。私はその様子を、ただひたすらじっと眺めています。
いつの間にか食事も終え、子供たちと先生らしき女性に見送られながら、施設をあとにします。

[ご本人の解釈]
金魚の共食いの様子が、色彩も鮮やかだったせいか頭から離れません。なにか欲求不満があるのでしょうか?よろしくお願いします。

☆ 夢解釈No.031 ☆
はじめまして、ドリームのサイト作成者です。
送っていただいた「孤児院の金魚鉢」の夢を考えてみたので、参考にしていただければ幸いです。
もし間違っていたら申し訳ありませんが、心の奥では、あなたは今、孤独な心境の中でもなんとか精神的に成長しようとしているのではないかと感じました。
夢の中の孤児院は、孤児という寂しさを抱えた子供がいる場所ということから、空虚感というニュアンスのある意識の全体性を表しているか、あるいは、子供が育つ場所ということから精神的な成長の象徴のどちらかだろうと思います。
そこに訪ねていくというのは、あなたの自我は、自分自身のそんな意識の状態を確かめに行っているという解釈が成り立ちます。
秋から冬というのは、心の成熟した秋の季節から、活動が停止し、寒さ=寂しさへ移り変わる心の移り変わりを表しているのだと思います。
部屋(意識領域の全体性)の中にある大きな窓は、外的な世界観を表していて、昼食、つまり夢の中で食べるという行為は、心的エネルギーを取り入れることを表しています。
それも、もろこしは種でもあり、なんらかの可能性を表す種を、栄養のある牛乳で煮込んでいるので、かなり濃厚な心のエネルギーを取り入れているという心の働きを表しているのでしょう。
これは、孤児院という孤独な状況の中でも、折り紙で作った鎖などを飾り(楽しく明るく心がけ)、外向的な世界に向かうために昼食をとる(エネルギーを取り入れている)という精神的な状況にあることを表しているのではないでしょうか?
そして、夢の中に出てくる知らない子供というのは、あなた自身のこれから育つべき人格の可能性を表している場合がほとんどですので、≪私と遊んで欲しくてまとわりついてきます≫ということは、様々な可能性が自我に接近していることを表しているのだろうと思います。そして、食べ物を分け合っているということは、寂しさの中、様々な可能性にエネルギーを分け与えている状態にあるようです。
金魚鉢の水は、無意識や女性的な生命の源泉などを表し、水草は無意識の生命力の中で成長したものを表し、金魚は、無意識の中の豊かな生命そのもの、あるいは幸福と失意の二面性を表すこともあるようですから、それらのニュアンスのあるなんらかの心的要因が、心の中で一つになっている(共食いしている)ようです。
夢の中で、あなたはそれをジッと見つめていますので、そのような無意識内の働きに強い関心があるのでしょう。
そして、いつの間にか食事も終え、あなた達は心のエネルギーを取り入れ終えると、施設の外という外的な世界に旅立って行きます。
この外的な世界というのは、おそらく社会に向かうという意味なのだと思います。
この夢を一言でまとめると、“孤独な精神世界の中でも明るく楽しく心のエネルギーを取り入れて社会に向かおう”というような心の働きが表れているように感じられます。
このように解釈してみましたが、いかがでしょうか?

【返信】
鈴木めいや 様

夢の解釈を送っていただき、ありがとうございました!
大変気になっていた夢なので、すっきりしました。
解釈にあったとおり、孤独感をいつも感じています。この夢を見た時期は、
孤独感に負けそうな気分で、そうならないようにもっと自分の周囲のことに意識を向けよう、いろんなところに出て行こう、といったように考えていました。それが夢に現れていたのかも知れません。
夢の中に、こうして自分の意識の状態が反映されているのだなあと、大変興味深く思いました。
本当に、ありがとうございました。

2007年05月14日