1111. 自分が死んでいる

あき
20才、女性、東京都、2回目です。
昨日もありがとうございました。連日すみません。本日もよろしくお願いいたします。

両親と私で九州に電車で旅行に行きました。家族で九州に旅行に行ったことはありません。行こうねと話したこともありません。その先で、私は病気で死んでしまいます。息がしづらいような感覚がありました。悲しいという気持ちはなく、そうなんだ、と思うくらいでした。そして、簡易的な自分自身の葬儀に出席していました。自分は参列者側の席で自分の骨壺を見ていました。そんな私に、両親は「余命があと少しだから早く入院しないと」と言っていました。私は周りの人にも見えているようです。何の病気かは分かりません。あれ、私は死んでいるのではないのだろうか?今目の前で私の葬儀が行われているのに、と私は混乱しました。
その後、家に帰ろうということになったのですが、宿泊先(ペンションみたいです)に、ヌルヌルした小さな魚(ドジョウか何か)が入ってきていて、驚きました。とりあえず外に出さなければと思い、私と母で1匹ずつ捕まえて、玄関から外に出しました。
それから行きと同じように、帰るために両親と電車に乗りました。行きの車内で撮った写真を見ながら、話をしていました。写真は、空と海を撮ったものが多かったです。また、母が私の好きだった人(今は別に好きな人がいます)について詳しくきいてきて、私は答えていました。ちなみにその人は、九州とも関係ありません。こんな時にこう言われた、という話でした。「それは絶対気になってたってことだよね」等と言われました。もう何とも思っていませんし、私の片思いだろうと思っていたので、なぜそんな話をするのだろうと気になりました。そこで目が覚めました。

どんな意味があるのでしょうか?自分が死んでいるのに、自分の葬儀に出ているのがとても気になりました。よろしくお願いいたします。
.. 2018年05月18日 (金) 07時17分

☆ 夢解釈No.1111 ☆

あき様「自分が死んでいる」

またのご依頼ありがとうございます。
とても不思議な空気感のある夢ですね。九州には行ったことがないとのことですが、あなたは九州にどんな印象があり、どのような連想が働きますでしょうか?
夢のなかの九州は、おそらく、あなたが連想する全ての微妙な感性と関係があります。

そして、夢のなかの電車は、一度乗ってしまうと、もう誰にも止められないような、絶対的に決められてしまっている運命のレールの上を突き進んでいる、というイメージを伴う場合があります。
するとあなたは、その先の「九州」で象徴している何らかの心の側面において、病気で死んでしまいます。

夢のなかのご本人の死は、現実での死とは関係がない場合が多く、それはあくまでも、あなた自身が幼い頃から持っていた、何らかの人格(基本的な言動や行動のパターン)の象徴的な死を意味しています。

20歳という年齢は、もしかするとあなたにとって、子どもっぽい何らかの性格の側面を象徴的な意味で死なせないといけない時期、と言うことなのかもしれません。
そのことによって、心が大人になる準備が整います。

ですが、両親が「余命があと少しだから早く入院しないと」と言っているので、夢のなかで本当に死んでいるのかは少し難しいところではあります。

夢のなかのドジョウは、この夢の文脈上、一度死んで何かを根本的に失って、再び回復して家に変えるために必要な、生命エネルギーのイメージではないかと思われます。

そして、基本的に、夢のなかで家に帰ることは、本来の自分らしい素の精神状態に帰ろうとしていることを意味している場合が多く、空や海の写真、また昔好きだった男性の話は、本来の自分を取り戻すために必要な心の要素を象徴していると思われます。

この夢は、一言でいうと「無意識が大人になる為の準備をしている」ことをあらわした夢と言うことが出来そうです。 いかが思いますでしょうか。

この夢を詳しく解釈するためには、夢に登場した心像を思い浮かべたときの「連想を広げる作業」などの情報を必要とします。
.. 2018年05月19日 (土) 16時52分

【返信レス】

ありがとうございます。死んでしまうのも、何らかの人格の死の象徴だとのことで、少し安心しました。夢の中で、私は死んでいるのではないだろうか、と思いましたが、また死ななければいけないのかとも思ったので、きっと大人になりきれていないのでしょうね。九州については、南で暖かい、明るいイメージがあります。本当にありがとうございました。
.. 2018年05月19日 (土) 19時40分