1127. 車とお皿

車とお皿
あき
20才、女性、東京都、4回目です。

私は運転席で車を運転していました。車は、普段家族で乗っているもので、青いコンパクトカーでした。父と母が後部座席に座っていました。父と母を乗せるのは初めてです。実際はとても運転が下手で、ペーパードライバーですが、夢の中では上手に運転していました。知らない石畳の街中をすいすい走っていました。特にカーブが上手く、50キロくらいで走っていました。どうだと誇らしい気持ちがありました。
白いお皿を自分で割っていました。合計10枚ほどです。ゲームで勇者が壺を割っているように、淡々としていました。私は皿を割りながら、何の感情もわいてきませんでした。

どんな意味があるのでしょうか。よろしくお願いいたします。
.. 2018年06月12日 (火) 07時06分

☆ 夢解釈No.1127 ☆

あき様「車とお皿」

この夢の場合にも当てはまるかは分かりませんが、基本的に、夢のなかの自動車は、自分の運転技術で人生の目的地までたどり着こうとする意思や、あるいはもっと漠然とした男性的な心のエネルギーをあらわす場合があります。
そしてそれは実在する自動車とのことですので、無意識の連想としては比較的現実的で個人的な心の側面に関係しているのかも知れません。

また、夢のなかの実在している両親は、希に「その人物そのもの」をあらわす場合もありますが、基本的には、あなた自身が持っている母性的・父性的な側面やあるいは両親からの保護の感覚をあらわしています。

ですが今回の夢では、保護者であるはずの両親を、子どものあなたが「男性的な意思の働き」によって後部座席に乗せています。

白いお皿を自分で割る夢も、この運転の夢と関係していているように思います。
というのは、皿は「並べる」「盛りつける」「入れる」「保存する」などの無意識下の連想から、より女性的な心の要素をあらわす場合が多いのですが、自動車の運転は、至って男性的な心の働きを必要とするので、それをするためには女性的な働きはかえってジャマに作用する場合があるからです。
純白でピュアな白いお皿を割っていた理由は、上手に運転している誇らしさと関係しています。

おそらく、このような夢を見たと言うことは、あなたは最近になって男性的な心の働きを必要としているのにもかかわらず、それを鍛えて働かせようとしていないか、あるいは、それが最近になって生じてきたか、そのどちらかではないかと思います。
いずれにしても、「普段家族で乗っている青いコンパクトカー」で象徴している男性的な働きを鍛えて、成長せよ、という無意識からの要請があるのではないかと思います。
いかが思いますでしょうか。

この夢を詳しく解釈するためには、両親や青いコンパクトカーを思い浮かべたときの連想を広げる作業や、心理学的な性格類型などの情報を必要とします。
.. 2018年06月12日 (火) 12時41分

【返信レス】

ありがとうございます。父母と車については、本当にいつも通りで、あまりイメージはありませんが、自分で運転していたので、大人になったなと思いました。
2018年06月12日 (火) 18時13分